時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

吉森大祐『うかれ堂騒動記 恋のかわら版』(小学館文庫)

著者名に見覚えがあると思ったら、『幕末ダウンタウン』の作者さんじゃないですか! 数年前に小説現代長編新人賞を受賞された方ですよね? あのとき、石田衣良さんが講評で「こういうアイデアをこれから10個ぐらい考えろ。話はそれからだ」みたいなことを書いていて、「編集者っぽいことを石田さんが書いてる」と思った記憶があったんですよね。

そうか、あの作者さんも時代小説を書くのか……と思いましたが、よく考えたら『幕末ダウンタウン』だって時代小説ですものね。パロディ小説的ではありましたが、たしかに時代小説でした。濱田と松茂登に惑わされちゃいけない。

そして本作は、パロディもなければ、惑わされることも紛うこともない時代小説です。主人公は一穂という美人(自称)のおてんば娘で、訳あって叔父の市右衛門とともに長屋住まいをし、かわら版屋として働いています。その一穂が、幼なじみの同心・吉田の下で密偵的な働きをしながら、いろんな事件に巻き込まれていくのが、本作のあらすじです。全編にわたってドタバタ系のコメディとして描かれていますが、それってけっこうチャレンジングなことではないかと思うのです。なぜなら、コメディを主体にした作品で、傑作といえるものはかなり少ないからです。

コメディを全体の要素の一部として取り入れて、成功している作品はたくさんあります。コメディ濃度を全体の50%程度にした、「泣けて笑える」というトラジックコメディが代表的です。また、恋愛やサスペンスなどのほかの要素と組み合わせることで、スパイス的な役割を果たすこともあります。ラブコメなどがそうですね。コメディ要素を入れることで、恋愛のしんみりしそうな部分をカラッとさわやかにすることができます。除湿効果。このように異なる要素にコメディを混ぜる場合は、コメディ濃度は30%ほど、高くても40%ほどではないかと思います。

つまり、コメディ要素が50%ぐらいまでの作品なら、面白い作品として名前が挙がるものが多いのです。パッと思いつくのは、七尾与史の『ドS刑事』シリーズとか、万城目学の『鴨川ホルモー』とかでしょうか。筒井康隆の短編作品の多くも、SFにコメディを混ぜたものだと思います。本作も、人情ものにコメディを混ぜたものといえなくはないですが、コメディ濃度がかなり高いのです。強いて言えば、70%ぐらいでしょうか。

「水野様は、もう、今日、四度もあたしをカワイイとおっしゃいましたよね。あたし、数えていました」
「か、カワイイとな、うむ、確かに言った」
「五度目です」
「うう」
「ねえ、水野様。どのへんがカワイイですか? 顔? やはり、顔ですか?」
 一穂は目をきらきらと輝かせながらにじり寄る。
 その勢いに、水野は圧倒される。
「う、うむ……ええと」
 と考えた。
「うむ、そうだな。顔だ。顔がいい」
「顔のいったいどこですか? 目かな? 鼻? 口もいいでしょ?」
「うーんと、もちろん目もいい」
「うん、うん」
「鼻もカワイイぞ」
「やったぁ!」
「口は少し、大きいかなあ……」
「――なに?」
 ぎろり、と一穂に睨まれて、水野は肩をすくめ、
「あ、いや、その……。く、口もカワイイ」
 と下を向いた。(p.26-27)

これは第一話で、一穂が北町奉行所の与力・水野と話している場面です。町奉行の次に偉い与力に、一穂のような一介の町娘が好き勝手言いまくるという、完璧なコメディシーンです。本作では、こういった場面がかなり出てきます。その場面は個々別々には面白いのですが、面白さが足りないというか、面白さを感じにくくなっているような気がするのです。

コメディを構成する最大要素は、笑いです。笑いを引き起こすには、多くは落差を使います。シリアスな場面から笑いに持って行くと、落札があるために、ものすごく面白く感じるものです。吉本新喜劇でさえ、あれだけガッツリとコメディに取り組みながらも、借金とか身分違いの恋とかチンピラの脅しとか、シリアス要素をしっかり入れています。まぁ、そのチンピラの親分が池乃めだか師匠だったりするのですが。

しかし本作のように、作中のコメディ濃度が高く、笑いと対比される場面(シリアスだったり、泣ける要素だったり)が少ないと、全編にわたってコメディ要素がばら撒かれているので、落差が発生しにくいと思うのです。さらには、コメディ状態が恒常的になってしまい、先ほどの引用部分のような場面が来ても、読者は「爆笑」「クスッ」みたいな状態にはなりにくくなるのではないかな、と。それがコメディ濃度が高い作品に傑作が少ないことの理由でしょう。

ただし本作では、最終話においてはきちんとコメディがコメディとしての能力を発揮していました。とても面白かったです。それは、最終話で一穂と市右衛門ののっぴきならない事情が判明するという、比較的シリアス主体の話だからでしょう。深刻な事情の中で、コメディ要素が出てくるのですから、かなり面白い。だったら、第一話からこの「事情」をうまく匂わせれば、コメディ要素が活きた、もっと面白い作品になったかもしれません。

しかし、それをしなかったのは、作者さんが「俺はこの作品を、コメディ要素100%の、コメディ小説として書きたいんだ!」と考えられたからではないか、と思います。とにかくバカバカしくて、何の役にも立たず、教訓など一つも得られない。だけど、ひたすら腹から笑える――そんな作品を、作者さんは目指したかったんじゃないかなぁ、と。そうだとしたら、大賛成です。小説は、教材でもなければ、人生の指針になるものでもないのですから、ひたすら面白く、楽しく、くだらなく、切なく、何なら目一杯ダークでも、人の道から逸れるものでもOKだと私は思います。

そして、作者さんがそんな「100%コメディ もうやりきるしかないさ」という気持ちでいるのであれば、その路線にがっつりと進んでいただきたい。『幕末ダウンタウン』のように、ひたすらハチャメチャな世界を描いていただきたい。頭のネジを5本ぐらい抜いて、最高に自由で面白い世界を描いていただきたい。本作ではたぶん、ネジは2本程度しか抜かれていないと思いますのでね。


発売日:2022年5月6日