時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

輪渡颯介『髪追い 古道具屋 皆塵堂』(講談社文庫)

作者さんの、小説家としての体力がすごい。本作を読んで、そう唸りました。すべてのシーンがみっちりと書かれています。

 茂蔵の兄貴分、棒手振りの魚屋の巳之助だった。年は多分、茂蔵より一つか二つ上なだけだが、やけに貫禄がある。この男の場合、何歳だとかは考えない方がよい。地獄の鬼の年齢を気にしないのと同じだ。
(中略)
 その後で巳之助がなにをするかというと、猫を眺めるためにあちこちをふらふらと歩くのである。この男は顔に似合わず、無類の猫好きなのだ。(p.24-25)

これは、巳之助という登場人物の紹介の部分です。あえて台詞を省いて引用していますが、それでも巳之助の人となりがきちんとわかります。ぎっちり&みっちりと、その人の特徴を描いているからですね。文章量が多いというわけではなく、読者が人物を想像しやすいように、文章で精一杯伝えているという感じです。

 鮪助はこの辺りの親分猫である。貫禄の塊だが、つまりは無愛想ということである。この鮪助が少しでも猫らしくなるのは、猫が苦手なのにやたら猫に好かれるという、あの太一郎を相手にする時だけだ。(p.87)

これは鮪助という猫の紹介部分です。こちらも短い文章の中に、鮪助の魅力および迫力がぎゅっと詰まっています。簡単にいうと、文章に「逃げ」がないのです。「ここはサッと書いておけばいいや」みたいな雰囲気がないのです。

「それって、商業小説ではふつうのことじゃないの?」と思われるかもしれませんが、時代小説に限らず、小説全般において、「この場面は端折ろう」「ここは簡単に書いてもいいよね」みたいな「逃げ」を感じる描写に出会うことは少なくありません。地の文での描写がほとんどなかったり、台詞の羅列と改行をくり返しているせいで多くのページの下半分に文字がなく、メモ用紙に使えそうな作品だってあります。けっこうあります。

本作では、そういった「逃げ」はありません。文章ででき得る限りの描写をして、読者に面白さを伝えようとしています。そのために書き切る体力がすごい。根性がすごい。こういった小説の執筆における体力&根性がはっきりとわかる作家さんは、メフィスト賞を受賞した方に多い気がします。本作の作者さんである輪渡颯介さんもそうですし、京極夏彦さんや辻村深月さんもそうですね。どんな作品においても、「よく書くなぁ」と言いたくなるぐらい、重量級の執筆をされています。

……と、文章の濃厚さに気を取られてしまいましたが、簡単に本作を紹介します。本作は、古道具屋に集う人たちが、あれやこれやの騒動に巻き込まれる「古道具屋 皆塵堂」シリーズの9作目です。あらすじとしては、小間物屋で働く茂蔵が、酔った勢いで、祠に封印されていた箱を開け、その中にあった長い髪が飛び出し、さまざまな騒ぎを巻き起こす、といったところでしょうか。これまでのシリーズ作同様、落語の噺のようなコミカルな描写で物語が進んでいきます。

本作というか本シリーズは、比較的登場人物が多いのが特徴です。とりあえず作品ごとの主人公はいるのですが、それ以外の人々にもきちんとスポットライトを当てています。これも「逃げ」がない証拠ですね。「こいつはどうせ脇役だから、サラッと書けばいいや」みたいな雰囲気がない。どの人物も、どういう性格で、どういう言動をとり、どういう面白さのある人間なのかを十分に練り上げ、文章で表現しています。

 太一郎と峰吉は落ち着いている。特に峰吉は、この座敷の床の間にある値の張りそうな壺や掛け軸、置物などを、口元に薄気味悪い笑みを浮かべながら眺めている。
 そのうち涎を垂らすんじゃないかな、と思っていると、その峰吉がすっと居住まいをただした。笑みから薄気味悪さが消え、愛嬌に溢れた可愛らしいものに替わる。皆塵堂で客を相手にする時に顔だ。
 少しして、襖の外から足音が聞こえてきた。茂蔵たちも背筋を伸ばす。さすが峰吉は、他の者よりはるかに耳が利く、と茂蔵は改めて舌を巻いた。(p.151-152)

これは戸倉屋という呉服店の座敷で、茂蔵と仲間たちが待っている場面です。ここを読む限り、失礼を承知で言うと、一文一文が洗練されているわけではないんですよね。ちょっと冗長かな、とさえ思えます。しかし、峰吉という人物がどういう者なのかを伝えようとする意志がありますし、峰吉の裏表がある感じや、耳の良さといった特技もはっきりとわかります。文章が強いといいましょうか、一文の色が濃いといいましょうか、必要最小限ではなく、必要最大限の表現が続きます。ほんと、よくここまで書けるなぁ、と思うのと同時に、小説にしっかり向き合った作者さんの作品というのは、こういうものだよなぁ、とも思いました。

漫画『のだめカンタービレ』では、主人公ののだめに対し、指導者のシュトレーゼマンが「音楽に正面から向き合わないと、心から音楽を楽しめまセンよ」と言っています。これは小説にも言えることではないでしょうか。小説に正面から向き合っている人は、どんなに大変でも楽しく小説を書いているし、読者をも楽しませることができる。そして、「小説と正面から向き合う」というのは、逃げないことです。一文ごとにこだわりをもち、どんな細部もごまかさない。「読みやすいほうが読者ウケがいいから」「どうせだれも読まない部分だから」などと、叙述を省くための言い訳をしない。そんなド根性が見える本作のような作品が好きだなーと、昭和のド根性おばさんである私は思うのです。


発売日:2022年4月15日