時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

鷹井伶『おとめ長屋 女やもめに花が咲く』(角川文庫)

長屋ものでシスターフッドもの。そして人情要素と謎解き要素もプラス。そんな最近の時代小説の「トロ」の部分を、ぎゅっと詰め合わせたかのような作品です。「女性だけの長屋の物語」というテーマ(題材)も新鮮でいいですよね。これは作者さんが、「これまでにないテーマで書きたい」と考えられたものではないでしょうか。そして、長屋の店子ひとりひとりを紹介するように、いくつかの出来事が起こる長屋ものの定番ともいえるストーリーは、多くの読者さんが好むものではないかと思います。とくに第三話の、加恵がつらい人生の中に光を見つけていく話は、とてもよかったです。

ですが、主人公・千春の設定には、引っかかりを覚えてしまいました。

「ほら、美味しそうだろ。あんたの好物の芋煮、作ったんだよ。すぐご飯にするだろ? それとも湯屋に行ってくるかい?」
 そると、仙吉は横を向いたまま、呟いた。
「なんで、おめぇはいつもそうなんだ」
「いつもって?」
「いつもだよ」
 仙吉はやれやれとばかりに、ふーっと息を吐いてから、千春に目を向けた。
「おめぇは俺のおっかさんか? え? そうなのか?」
「おかしな人だね。何言ってんだよ。そんなわけないだろ」
 笑い飛ばそうとした千春に仙吉は「だ、か、ら」と、さらに苛立たしそうな声を上げた。
「母親づらすんなって、言ってんだ! 出てけ、出てってくれよ!」
「えっ……」(p.8-9)

あらすじや巻頭の人物紹介によると、千春は「惚れた男に尽くせば尽くすほど嫌われてしまう」タイプだそうです。この引用部分でも、そのキャラクター設定がなんとなくわかりますね。ならば、その性格で損をしながら物語が進むのかといえば、そうではありません。この冒頭の部分以外では、千春はほとんど「尽くしまくる」モードにはなりません。長屋の人たちの事情に首を突っ込もうとする場面はところどころにありますが、それは「尽くしまくる」というよりは、「ちょっと気になる」というレベルです。

 ふ~んと祥次郎は考え込む顔になった。
「ま、あれかな。母親ってのはただでさえ面倒くさいもんだから。あんまり世話を焼くのもよくねぇと思ってるんじゃねぇか」
「そっか……」
 千晴は前に仙吉から「母親面するな」と言われたときのことを思い出して、胸がちくっとなった。
「ん? どうかしたかい」
 祥次郎が千春の目を覗き込んだ。
「ううん……あのさ、祥さんも世話を焼かれるのは嫌い?」
「え? 俺?」
「うん」
 真剣な表情の千春を見て、祥次郎がふっと笑顔を浮かべた。
「あのさ、ちーちゃんに言ってんじゃねぇよ。俺はちーちゃんになら、世話を焼かれてぇぐれぇだ」(p.199-200)

これは最終話である第四話で、千春が好きになった祥次郎と話しているところです。最終話になって、やっと千春の「尽くしまくる」性分についての話が出てきます。だからといって、千春は「尽くしまくる」モードになるわけではありません。作中では、尽くしまくるどころか、押しに弱いタイプではないかと思える部分が多いです。ガツガツと世話を焼きまくって「うぜぇ!」と言われるぐらいでないと、「尽くしまくる」設定の意味がなくなってしまうと思います。

また、ここまでの二つの引用部分からもわかるとおり、本作の会話では「えっ……」「うん」「はい」のようなあいづちの台詞や、「それは○○だ」「えっ、○○って……」のような、鸚鵡返しの台詞が非常に多いです。こういった台詞は、会話のリズムをとるために書かれるものです。つまり、こういった台詞がなくても文脈上は問題ないことが多いので、多用されると「そんな台詞に大切な一行を使うの?」と思ってしまいます。

「この金だが、お前さんももうわかっただろうが、シズが持ってきた。でも責めないでやって欲しい。(後略)」
「…………」
 千春は答えに迷った。万引きをしたのはシズなのか。それを知らんぷりして責めるなとはどういうことなのだろう。
「シズは、お前さんも知ってのように生真面目な人だ。たいていのことはあの人に任せておけば回る。安心していていい。それは間違いない」
「はい」
「けど、頑張りが過ぎるんだろうね、時々この癖が出る」
「癖……」
「ああ、癖さ。この癖のせいで可哀想にお店勤めが続かない。直そうともしてるけど、なかなか上手くいかなくてね。だから、どうにも我慢ができないときには、うちのを取りなと言ってある」
「そんな……」(p.89-90)

この引用部分は、長屋の大家・トメから、千春が話を聞いている場面です。ここにある「…………」「はい」「癖……」「そんな……」は、あいづちもしくは鸚鵡返しの台詞です。「…………」に至っては、おそらく言葉に詰まっているのを表しているのでしょうが、直後に「千春は答えに迷った」とちゃんと説明しているのですから、わざわざ入れる必要はないでしょう。そして、「はい」などのあいづちをそのまま入れるぐらいなら、話を聞いている千春の様子や表情などの描写を地の文として入れるべきなんじゃないかなぁ、と。

私がこういったことを書くと「『そんな……』とかは、戸惑いを表したかっただけでしょ?」などと言われてしまうのですが、それだったら「○○はつっかえながら言った」とか「○○の目が泳いだ」とか、態度や様子でいくらでも表現できると思います。そして、そういった叙述で物語をつくっていくのが、文章だけですべてを表現する、小説でしかできないことだと思います。せっかく小説で面白いストーリーを書こうとしていらっしゃるなら、小説にしかできない表現を読みたいですし、そういう作品にこそお金を払いたいです。

さらに本作では、こういったあいづち&鸚鵡返しの台詞は、主人公である千春のものであることが多いのです。主人公なのですから、しかも「尽くしまくる」設定なのですから、人の言うことに頷いたり鸚鵡返しをするだけでなく、自分勝手にだれかに尽くすような台詞を言うようにすれば、千春が主人公として引き立っていたのになぁ、と思わずにはいられません。だって現状では、千春の「尽くしまくる」という設定は、なくても問題ないものになっていますから。

それにしても、わざわざ巻頭の人物紹介で説明されているほどの主人公の設定が、どうして作中で強調されていないんでしょうね。まさか後付けの設定というわけでもないと思うのですが。

ただ気になるのが、「尽くしまくる」設定にかかわる部分の表記のブレです。冒頭では「母親づら」とあるのに、最終話では「母親面」と漢字になっています。校正で表記統一しなかったの? とか、それとも最終話は一般論としての「母親面」として漢字にしたってこと? とか、「尽くしまくる」設定を意識させるために、校正後に後付けで「母親面」のエピソードを最終話に入れた? とか、いろいろ勘繰りたくなりますが、とにかく主人公の設定は大切だよ! 最後まで設定ブレさせんなよ! ってことです。


発売日:2022年4月21日