時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

中島久枝『ずんだと神様 一膳めし屋丸九(七) 』(ハルキ文庫)

前のエントリーにも書いたとおり、今月のハルキ文庫からは、似たような設定の時代小説が3冊刊行されています。そうなると、感想を書くにしても、「この3作品の違いはどこにあるんだろう?」という点を考えてしまいます。さらにこの3冊は、「女性が飯屋で働く」という、時代小説の売れ線オブ売れ線の設定であるため、多くの類似作品が存在します。そのため、それらとも差異を感じられるかどうかが、本作の感想を書くうえでのポイントになるんじゃないかなぁと思ってはいます。

……と、前置きが長くなりました。本作は中島久枝さんの作品です。中島さんといえば、フードライターをやっていらっしゃることもあり、料理や食材、調理のことをていねいに書かれることに定評のある作家さんです。本作でもそのあたりが、類似作品との差異になっていると思います。調理の場面などは、「これは中島さんが実際に料理を作ってから書いているんだろうな」と思うほどでした。そして実際、本作の巻末にはレシピも載っています。

ストーリーや文章についても、とくに問題なく、最初から最後までスルスル読めてしまいます。スルスル読めるのは、ストーリーが矛盾も淀みもなく進むということであり、文章の表現にも大きな問題がないということです。ならそれでいいじゃないか、という気にもなりますが、スルスル読めたあとに、「……で、これってどんな小説だったっけ?」と思ってしまいました。

いや、ストーリーの内容は、ある程度頭には残っているのです。主人公・お高が、さまざまな料理でもてなしをしている様子も、ちゃんと記憶にはあります。ただ、お高の心の動きがあまり読み取れなかったのです。それは私の読解力不足もあるでしょうが、お高が落語の噺にもあまり笑えない、お堅い人物であることもあるでしょう。そして本作が、完全客観に近い視点で書かれているのも、大きな原因であるように思えます。

「こんばんは。調子はどうだい」
 作太郎は幸吉に声をかけた。
「あ、作太郎さん。いつもお世話になって……おります」
 幸吉の声が尻つぼみになった。困った顔をしている。(p.82)

この引用部分の地の文にある「声をかけた」「尻つぼみになった」「困った顔をしている」は、いずれも「見たまま」「聞いたまま」の様子です。これは完全客観であるためでしょう。もし、主人公のお高の視点ならば、お高が見聞きした様子として描くはずですから。また、「(幸吉が)困った顔をしている」とありますが、本当に幸吉が困っていたかどうかは、幸吉本人にしかわかりませんから、これも完全客観として書かれている証拠かな、とは思います。

「ちょいとさぁ、頼みたいことがあるんだよぉ」
 政次が甘えた声を出した。
「いやよ」
 お高は即座に断った。出鼻をくじかれて、政次は頬をふくらませた。(p.92)

「今日の冷奴は大きいところがいいねぇ。大好物なんだよ」
 徳兵衛が目を細める。
「あれ、今晩は葛まんじゅうかい。うれしいねぇ」
 お蔦も顔をほころばせる。
 三人は盃を交わしながら、いつものように楽しそうにおしゃべりをしている。(p.104)

この二つの引用部分にある地の文も、すべてが「見たまま」「聞いたまま」の客観的な表現になっています。完全客観ですから、当たり前といえば当たり前なのですが、どうも文章に面白さがない気がします。「エンタメ小説に文章そのものの面白さを求めるな」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、完全客観で書かれているならば、どうしても文章そのものの面白さは必要になります。


完全客観は、世界じゅうの古典作品に多く見られ、日本では「文豪」と呼ばれる作家の作品に数多く見受けられます。完全客観は神視点であるため、神様が人間たちの様子を「あー、また何かやっとるわ」と眺めているように描くのが特徴です。そのため、シェイクスピアの戯曲のように、さまざまな人物の様子を多角的に表現する必要のある作品に合っているといえます。そして完全客観の小説では、地の文のよさが必要になります。客観的に書かざるを得ない地の文に、どれだけその作者独自の味わいを入れられるかが、完全客観の作品の面白さを左右するのです。

さて、本作では、ストーリーは主人公を中心にした、一般的な人情ものです。主人公以外の登場人物をクローズアップする必要もなく、多くの登場人物が多重的に絡む物語でもないため、完全客観で書かれる必要性をあまり感じません。そして、完全客観で書くことによって、登場人物の心情の動きがあまり描かれず、物語の起伏がなくなってしまっている気がします。

また、地の文にもあまり個性がありません。私は読書をする際、面白い部分や「この表現いいな」と思った部分にはふせんをつけていくのですが、本作ではふせんをひとつも付けませんでした。全編にわたって、ありきたりな表現が多かったのです。たとえば、先ほどの二つの引用にあった「甘えた声」「目を細める」「顔をほころばせる」は、代表的な「ありがち表現」です。どんな作家でも書ける表現、とでもいいましょうか。こういった常套句ともいえる文言が多用されているせいで、良く言えばクセのない、悪く言えば面白さのない文章表現になっています。

常套句は、ちょっとした内容を、短い言葉でだれにでもわかりやすく伝えられる、とても便利なものです。そのため、どうしても使いたくなってしまうんですよね。なので、「常套句を一切使うな!」とまでは言いませんが、お金をもらって文章を書く人は、常套句はなるべく避け、自分なりの表現を突き詰めるのが大切だと思います。そこがプロフェッショナルとアマチュアの境目なんじゃないかな、と。

ちなみに、昨年ベストセラーになったある小説の書き出しは、「うららかな春の日」という、ド定番の常套句でした。その「うららか」がどんのようなものかを説明するのが、プロの小説家であり、プロが書いた文章だと思うんですがね。いいんですかね、「うららか」で。

本作については、作者さんは実績のある方ですし、読者層に合わせた読みやすさを優先して、あえて常套句を多用しているのかもしれません。商業小説は「売れてナンボ」の部分がありますから、それはそれでまったく問題ないです。ですが、完全客観で書くならば、できれば地の文にはこだわってほしいし、そこで人物の心情に深く迫っていくことだって可能なんじゃないかな、とは思っています。


発売日:2022年4月15日