時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

芝村凉也『北の御番所 反骨日録【四】狐祝言 』(双葉文庫)

正直な感想を言うと、「読みにくいな」と思いました。だからといって、文章はグダグダではありません。無駄なくスッキリ書かれていますし、ストーリーだって面白い。裄沢の媚びない感じも、時代小説の主人公としては斬新で面白いのですが、どうも読みにくさを感じてしまう。不思議な感じです。

 寺本の父は、形の上では自ら町奉行所与力の職を辞したことになってはいるが、実際には当時の老中首座が推し進めていた改革の波に乗り一気に出世を果たそうとして、奉行所内の動静を見極められずに周囲から反感を買い、進退極まって致仕(退職)したのだった。(p.48)

たとえば、第一話のこの一文です。もう一度言いますが、「一文」です。長い。こういった一文の長さという「物理的」なことが、読みにくさの一因になっているとは思います。

とりあえず読みにくいながらも読んでみると、文の意味はわかるんですよね。寺本という人のお父さんが、出世しようとがんばっていたけれど、まわりから反感を買って退職するに至った、ということです。しかしこの文には、意味以上のものがない気がします。これが本作の「読みにくさ」の大きな原因ではないでしょうか。

この文を読んでいると、「寺本の父」のイメージが湧かないのです。「仲間からは『小賢しい奴』と言われていた」とか「出世をひたすら希っていた」とか、簡単に人となりを説明する文言があれば、「寺本の父」像がある程度パッと浮かぶのですがね。そして「奉行所内の動静を見極められずに周囲から反感を買い」とコンパクトにまとめられてはいるものの、「『奉行所内の動静』とはどんなものか」「どういう『反感』を買ったのか」といったことがほとんど不明で、「寺本の父」にどういう感情を抱いていいのかがわからなくなります。現在のこの「一文」のままだと、事実だけを羅列している調書を読まされているかのようです。

「謝罪はよい。先を続けられよ」
 深く頭を下げた裄沢を、屋敷の主は咎めることなく流したが、その声は厳めしく響いた。いい加減なもの言いが続けば、厳しい叱責が飛んでくるだろう。
 顔を上げた裄沢は恐縮する様子もなく、それまでと同じ調子で話し続ける。(p.120)

これは第二話で、裄沢が皀莢という「お偉いさん」に、あることを告げに行った場面の一部です。「いい加減なもの言いが続けば、厳しい叱責が飛んでくるだろう」の、「だろう」の主語が書かれていないなぁ、と思ったときに、ふと気づきました。この小説、三人称多元視点かつ完全客観的に書かれているんじゃないか、と。気づくの遅い。

完全客観は、一般的に「神視点」と言われているものです。書き方については、「完全客観なんだから、登場人物の心情を書くのはNG」という人もいれば、「神様は何でもお見通しなんだから、全員の心情を書いてもOK」と真逆の定義を口にする人もいます。まぁ「客観」なのですから、神様のように俯瞰で見て、わかることだけを書くということなんでしょう。

そうなると、「いい加減なもの言いが続けば、厳しい叱責が飛んでくるだろう」の、「だろう」の主語は、神様(作者)ということになります。そして次の「顔を上げた裄沢は恐縮する様子もなく、それまでと同じ調子で話し続ける」も、神様(作者)から見ているから、「そんな脅しまがいの態度には惑わされないぞ」といった裄沢の心情には触れずに、客観的に述べられているわけですね。

このように、完全客観で述べられた小説は事実をありのままに描き、心情描写は少なくなりがちです。そのため、登場人物の気持ちがわかりにくくなることがあります。

 深元が御用部屋に入ってすぐに倉島のところへ来たことといい、空きを確かめることなく真っ直ぐこの部屋へ向かったことといい、用部屋手附同心のうちの誰かが深元にご注進に走り、その指示を受けてこの部屋の空きを確認したのだと思われた。(p.266-267)

これは第三話で、深元が倉島に「話がある」と呼び出された場面にある一文です。もう一度言います。「一文」です。またもや長い。長いですが、それについてはひとまず置いておきます。

この文では、述語である「思われた」の主語が書かれていません。完全客観なので、もちろんここの主語も神様(作者)ということになりそうなんですが、ここはどう考えても倉島です。ここよりも前の部分で、倉島が深元に嫌々ついていく描写がありますから。それに、この一文で伝えたいことは、深元に呼び出された倉島の疑心暗鬼の気持ちのはずなので、やはり倉島が主語ということになるでしょう。

しかしその倉島の気持ちが、ここでは読み取りにくいのです。心情を明確に示せない完全客観では、「幸せなら態度で示そうよ」ではないですけど、せめて態度や表情などを描写しないと、心情がわかりにくくなります。ここでいえば、最初に短く「倉島は思わず眉をひそめた」などと、倉島の気持ちを表情で示しておけば、「おいおい。突然呼び出したように見せて、ずいぶんと準備周到だな」という、倉島の反発と不安の気持ちを前面に出せるはずです。この文の伝えたいところが明確になるはずです。

おそらく、こういった心情表現の代わりになる、表情や態度の表現が少ないことが、読みにくさの原因というか、読んでいるのに人物の様子が頭に入ってこない状況になっているのではないかなぁと思います。あと、やはり一文が長い部分があるのもネックですよね。「ここ、いくつかの文章に区切りませんか」とか、編集さんはアドバイスしなかったのかなぁ。

また、本作は、武家社会の表と裏を描いた作品です。表では畏まっていても、じつは裏では……というのが、こういった物語の展開です。本作では、堅苦しい武家社会の「表」の部分がしっかり描かれています。それはおそらく、完全客観的な書き方による効果でしょう。「表」の部分を、そのまま余すことなく描いているのですから。一方で、「裏」については少々不足感があります。「裏」は、人間でいえば本音の部分ですから、登場人物の心情に迫らなくてはなりません。ですが、完全客観的に書かれている本作では、心情描写が極力抑えられているので、登場人物の心の奥へとグッと入っていけていないように思えます。

「どんな視点で小説を書くか」は、作者さんの書きやすさで選ぶべきところではありますが、小説で描きたいテーマや設定に合っているかどうかでも選ぶべきなのかもしれませんね。勉強になりました。


発売日:2022年4月14日