時代小説読書記録帳

時代小説(おもに新刊)の感想を書いています。

岡本さとる『鯰の夫婦 居酒屋お夏 春夏秋冬』(幻冬舎時代小説文庫)

人情ものであり、居酒屋ものでもある。そんな時代小説の定番のど真ん中にある『居酒屋お夏』シリーズの、外伝的な「春夏秋冬」の第五弾が本作です。定番ということは、似た作品が山ほどあるわけで、数多くある類書の中で、際立った部分をどのように出していくかがポイントになるかと思います。では本作はどうかというと、ほかの人情もの&居酒屋ものととくに変わりないな、というのが正直な感想です。中心人物であるお夏の大立ち回りは少々出色な感じですが、それが中心になる物語ではありませんから。

しかし、そんな「とくに変わりない」感じが、読者を安心させるポイントでもあると思います。第一話では夫婦愛、第二話では親子愛と兄弟愛、第三話・第四話では幼なじみ同士の思いやりと、年配の読者にとっては、身近であり好まれるタイプの話が並んでいます。

ここで「年配の読者」と読者層を示しましたが、それは話の内容だけを元にした推測ではありません。本作の文字が、「年配の読者」をターゲットにしていることを物語っているのです。でかいんです、フォントが。本を開いたとたん、「でけぇ」と思わずつぶやいたほどです。時代小説の大御所オブ大御所・佐伯泰英の作品などでも見られる、この「大フォント」は、老眼世代のための親切設計だと思うんですよね。決してページ数を稼ぐための手段ではないと思います、たぶん。

「その、まさかさ……。小父さん、亀次郎だよ」
 亀次郎は嬉しそうに名乗った。
「やはり亀さんかい……。てことは連れのお人は……」
「鶴吉だよ……」
「こいつは驚いた。そうかい……。立派にお成りになったねえ……」(p.128)

これは本作の第二話での会話部分です。三点リーダー(…)がすべての台詞についています。この三点リーダーの多さが、本作の台詞での最大の特徴ですね。三点リーダーが表すのは、余韻というか、言葉にならない吐息的なものでしょう。そういうものを、多くの台詞にこめているということでしょうか。

じつはこの三点リーダーのほかにも、本作の台詞では、かなり特徴的なものがあります。

「天下のくそ婆ァらしく、受けてやれと言っているんだよ」
「いや、でもねえ……」
「四の五のぬかすんじゃあねえや。さあ……」
「さあ……」
「さあ、さあ、さあ、婆ァ、どうするんだよう!」
「わかったよう!」(p.57)

「こいつは親分、かっちけねえ……」(p.115)

まず最初の会話の引用では、「どうするんだよう!」「わかったよう!」と、語尾に「う」という長音(のばす音)のようなものがついています。これが特定のキャラクターの台詞だけにつけられるなら、「この人物の口調のクセかな?」とも思うのですが、多くの人物がこの長音をつけて話していますので、どちらかというと作者さんの執筆のクセなのでしょう。

そして、「さあ……」「さあ、さあ、さあ」のやり取りは、歌舞伎でよく用いられる「繰り上げ」が元ネタでしょう。「繰り上げ」は、問い詰める側と問い詰められる側が「さあ」と言い合い、詰め寄っていく掛け合いで、最近ではドラマ『半沢直樹』でも、香川照之片岡愛之助が繰り上げをしていましたね。

そして二番目の引用にある「かっちけねえ」は、「かたじけない」という意味の言葉です。いわゆる江戸弁です。しかもわりと乱暴なタイプの。この「かっちけねえ」をはじめとした乱暴な江戸弁は「六方詞(ろっぽうことば)」と呼ばれ、「旗本奴」というヤンチャな若い旗本の武士たちが使う言葉でした。この六方詞も、歌舞伎の荒事などでよく使われています。

本作にどうしてこんなにも歌舞伎が元ネタらしき表現が出てくるかといえば、作者さんがかつて松竹に勤務していて、歌舞伎の脚本も書いていたからでしょうね。納得です。

おそらく作者さんは、これまでに歌舞伎をたくさん観てこられたのでしょう。そうでなければ、歌舞伎の台詞回しをそのまま小説の台詞にするはずがありません。そこから浮かぶのは、作者さんが、書籍などの「文字情報」よりも、歌舞伎などで得る「音声情報」を重視されているんだろうな、ということです。

わかりやすい例でいえば、三島由紀夫宮沢賢治ですね。音だろうが空気感だろうが、すべての情報をゴリゴリに書き込む三島由紀夫は、がっつり「文字情報」によって小説を書いている人、「どっどど どどうど どどうど どどう」「ギーギーフーギーギーフー」「かぷかぷ」など、独特の擬音を生み出した宮沢賢治は、「音声情報」をうまく小説や詩に乗せられる人なのではないかと思います。

で、本作の作者さんは、「音声情報」を採用しやすい人なのだろうと思います。三点リーダーや「~だよう」とのばす口調が多いのも、実際に耳にした言葉をもとにして、それと似た雰囲気の台詞を作ろうとしているのかもしれません。そして、歌舞伎が元ネタの言い回しが多いのも、歌舞伎で耳にしたものを「面白い!」と感じ、小説で使おうと思ったからでしょう。

ただし元ネタがあるものは、元ネタを知らないと面白さが半減どころか四半減してしまうんですよね。本作でも「繰り上げ」や「六方詞」は、元ネタが少々わかりにくいので、「変な言い回しだなぁ」とか「何だよこの言い方」などと、読者が感じてしまう可能性もあるんじゃないかなぁと思います。また、元ネタがある表現は、多用したりわざとらしく使ったりすると、悪目立ちするんですよね。実際、本作でも「かっちけねえ」が何度か出てくるのですが、そのたびに「この言い方だけ浮いてるな」と思ってしまったので、粋と鯔背が信条の江戸っ子たちの物語らしく、ぜひさりげなく使ってほしいものです。


発売日:2022年4月7日